気にいらねえ



店内はそう広くない。テーブル席が4つ、カウンター席が10。それだけだ。
表通りから一本奥に入った路地にある、小さな佇まいの店。それでもなかなか繁盛している。何でも、親父さんの伝手で、安くていい食材を仕入れる事が出来るとか、常連さんが長年かけて育ててくれたとか、色々聞いた事もあるけれど。
そこそこの値段で味も抜群とくれば、そりゃあ客も来るだろう。加えて、ここの店の人達は嫌味がなくて気持ちがいい。バイトをして数ヶ月のオレだけど、いつも楽しく働かせてもらっている。
「女将さん、もう一本つけてくれる?」
「はーい、ただいま」
 そんな会話を聞きながら、明日の下準備をしていた。
 
 実は、店の閉店時間は過ぎている。それなのにテーブル席は埋まったままで、親父さんや女将さんも何も言わない。週の半ば、水曜はいつもこんなだ。
「浜田君、これ頼むよ」
「はい」
 親父さんの揚げた小柱の掻き揚げを白米の上に載せ、三つ葉を形よく載せて胡麻を振り掛ける。出汁は女将さんが用意してくれている。
 客の殆どが締めに頼むのは、この店特製のお茶漬けだ。何度か食べさせてもらったけど、本当においしい。
「泉、これ」
「ん」
 用意の整ったお盆をカウンターに載せると、待っていた泉がそれを持ち上げた。

 つまり、ここは泉家がやってる店だ。そんで、水曜がこんななのは、泉が手伝いに出る日だから。
「おまたせー」
「おーこうちゃん、こっちこっち」
 嬉しそうにお客が泉を手招く。60代だろうか、白髪も格好いい背広姿のおじさんだ。他のテーブルからも声が掛かった。
 きっと昔からの常連客なんだろう、自分の孫か何かを見るような目で皆が泉に構いかける。
「こうちゃん、大きくなったのに小さいなあ」
「相変わらず可愛いねー」
「あのなー」
「考介、失礼のないようにね」
 おばさんの鋭い一睨みに、泉はわかってるとばかりに口をへの字に曲げた。さすがに、オレ相手に罵詈雑言吐くのと同じように、うるせえとかは言わないらしい。
「もー、週半ばでこんなに酒飲んでいいのかよ?つーか閉店だっての」
 ぶつぶつ言いながら机の上の空いた皿を片付け、客をいなし、くるくると動き回る泉の姿に客たちは嬉しそうな顔を隠さない。おばさんはあんな乱暴な言葉遣いで、とか、あとできつく言っておかないと、とか呟いてるけど。
「お茶、温くするんだっけ?」
 泉は口は悪いけど気は優しい。猫舌の客に温めたお茶を出したり、薬を飲む客に白湯を出したり。早く帰れと言いながら、急かした風もなく世話を焼いている。だから皆泉を可愛がるんだろう。

 オレはそんな光景を見ないように見ないように、意識して包丁を動かした。客席からバイト君は黙々と働くねえなんて声が掛かって、泉がいつもはすげえうるさいよ、なんて返していた。



 ゴミ捨てはオレの仕事だ。泉が店に出るときは、泉も手伝ってくれる。
「バイトの時だけは静かだよな、浜田」
 泉が笑って言うのを、睨み付けてやると「なんだよ」と逆に睨まれた。
「おっさんたちさー、泉に構いすぎ!つか泉もさ、オレが可愛いとか言うと怒るくせにおっさんには何も言わないのかよ?言いたい放題じゃねえかよもしかして泉おやじ専?」
 重い袋を持ち上げて柵の中に放り込みがてら、仕事の間中もやもやしていたものをぶつけると、案の定泉はばかじゃねえの、と呆れた口調だった。
「客だっつうの。ガキのころからの馴染みだしさあ。つかなんだよオヤジ専つうのは!」
「いてっ」
 脛を蹴られた。容赦ない。
「オレがオヤジ専だったらオメーなんか相手にしねえっつの」
 ごっ、という音とともに背中を拳で殴られる。
「いてえって泉!」
「馬鹿な事言ってんじゃねえよ」
 仕上げとばかりに鼻を摘まれて、オレは降参のしるしに両手を挙げた。
「……だってさあ」
「だって何だよ」
 店の裏口の扉に手を掛けた泉の、その手にオレの手を重ねて立ち止まらせる。後ろから寄り添う形になったのは、自分があんまり情けない顔を晒している自覚があるからだった。
「気にいらねえんだって」
「あのなあ」
 うんざりとため息をついた泉は、それでもオレに背中を預けてくれた。
「ちょっとだけこうして」
 オレが頼むと、仕方なしに泉は頷く。
「一分な」
 それじゃ全然足りない、とは思うけれど。もっと、と言ったら即効店に戻ってしまうのが目に見えているので、大人しく従う。

 本当は、気に入らないのはおやじさんたちじゃなくて、隅っこの方にいた二人連れの客だ。サラリーマン風の、ちょっと気取った感じの奴ら。ちらちら泉のこと見てたんだよ。先週もいたんだよ。絶対泉のこと狙ってるって。目付きが熱っぽかったって。
 言ってやりたいような、知らないでいて欲しいような。
 可愛い恋人を持つ男の心中は複雑だ。  
 
2005/08/16
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