おでこ死守



「浜田くん、ゴム持ってない?髪止めるやつ」 
呼ばれて振り向くと、おばさんがひょっこり顔を出していた。
「ありますよ。一本でいいですか?」
「うん、ありがとう。今日借りるわね」
「何でそんなもん持ってんだよ……」
泉は不服そうだ。何でと言われても。ていうか、何でそんな不機嫌そうなんだろう。
「ほら孝介、後ろ向きなさいよ」
「タオルでいいだろー」
「良くないわよ土木工事の人みたいじゃない、うちは大衆居酒屋よりもうちょっと落ち着いた店目指してるのよ」
「変わんねえよ」
「いいから大人しくする!」
「いってえ!痛いって髪抜けるってば!」
おばさんは泉の頭を無理やり掴んで後ろに向かせ、耳の上辺りで髪をすくって、後頭部で纏めた。

「大体ねえ、頭ぼさぼさで顔周りに髪がかかってたら汚らしいでしょう?飲食店なんだから、清潔第一なの!」
「わかってるけど!」
女の子みたいな髪型が気に入らないんだろう。なおもタオルでいいじゃん、とぶつぶつこぼしている。
「前髪留めとく?」
尻ポケットにつっこんでいたピンを取り出してみせたら、泉はますます嫌そうな顔をしてオレを睨んできた。
「ついでにお願いね」
おばさんは泉の襟首を掴んで、猫の仔を扱うようにオレの前に差し出した。
性格といい、やや乱雑な仕草といい、本当にこの母子はそっくりだ。
「……留めんの」
「留めるよー。前髪伸びてるし、目に入って鬱陶しいだろ」
おばさんにやれと言われた手前、嫌だとつっぱねることのできない泉は、恨めしそうな視線で見上げてくる。そんな顔されるとつい構いたくなっちゃうんだけど。
これ以上泉が拗ねないうちに、ちょちょいと前髪を真ん中わけにしてピンで留めた。



店が始まって数時間、泉の姿が目の端に入るたびににやけそうになる顔を、俯いて仕事に没頭するふりで必死に隠していた。
うーん、かわいい。
時間がなくて適当に纏めた髪だけど、それがかえってラフな感じになっていて、よく似合っている。
泉はおでこの形がいいから、全部上げてしまっても良かったかな。
真ん中でわけておでこを出した泉はいつもよりちょっとだけ幼くて、おじ様方の評判も上々だ。いつもなら腹の立つ、かわいいかわいいって客の言葉も、今日はうんうんそうですよねーと心の中で同意したりして。
休憩に入ったら、絶対、おでこにいっぱいキスしてやろう。





待ちに待った休憩時間。
「なんだよもー、浜田ってでこマニア?」
数分違いで入ってきた泉が箸を置くなり皿を掻っ攫って、いつもなら後ろから抱き込むのを今日は横抱きにして。心に決めたとおりに何度も何度もしつこくおでこにキスをしていたら、いい加減泉はうんざりしてきたらしい。
「そういうわけじゃないけどさー、このおでこ可愛いんだもんよ」
「はーそうですか」
「そうですよー。あーもーかわいいかわいい」
「……うぜえ……」
心底鬱陶しそうな泉の呟きも今は無視だ。

「髪、ほつれてるから直そうか」
数時間忙しく立ち働いたせいか、少しだけ後れ毛が出ている。
「汚い?」
「それほどじゃないけど。直したらすっきりするよ」
「じゃあやって」
「ん」
手早くピンを抜いてゴムを解いて、纏めなおす。前髪にピンを差し込んで、仕上げにおでこにキスをした。
「おし、できた」
「……」
泉はやや呆れ顔を向けると、そういえば、とオレを見上げた。
「それ、はやってんの」
「は?何が?」
唐突な問いにわけがわからず、聞き返す。
すると泉は、とんでもない爆弾発言をしてくれたのだった。
「おでこかわいいって言うの、はやってんの?さっきも言われたし」
「はあ?」
何ですかそれは聞き捨てならないのですが。

「さっきさあ、便所から出てきた客とぶつかりそうになって、目が会ったんだよ。そしたらその人、オレの顔見て、『おでこ出してるの、かわいいね』とか言いやがんの。すんげー言い慣れた感じでさ、男にまで律儀だよなー」
「……それ、どんなやつ?おじさんたちの誰か?」
多分、違うだろうなという予感はしつつ、そうあって欲しかった。
「奥の席にいた、20代くらいの人。スーツ着て眼鏡かけた、なんか頭良さそうな感じの」
「あー……」
予感的中ってやつだ。あいつかよ。いっつも泉のいる水曜日に来る男だ。目つきが怪しいと思ったらやっぱり狙ってんのかよ、油断も隙もねえな。
泉も泉だ、サービス精神旺盛だなーとか笑ってる場合じゃねえっつの。なんでそんなに危機感薄いんだよ。思いっきり口説かれてんじゃねえかよ!

「泉!」
抱き込んでいた泉を引き剥がして無理やり立たせる。ちらりと時計を見ると、休憩時間はあと1分少々。時間がない。
「浜田?何?」
オレの突然の行動に驚いた泉は目を丸くして身構えたが、何も言わずにピンを抜いた。
分け癖のついた前髪をほぐして横に分ける。頭頂部から髪を寄せ、女の子がよくやってるように斜めにおろして、目に掛からないようピンで留めた。
これはこれでまた可愛いのだけど、とっても可愛いのだけど、まあ、いいだろう。
「これでよし」
「おい、何なんだよ」

オレは説明の代わりに泉の唇にちゅっとキスをして、
「おまえのおでこはオレのもの!」
「……は?」
「じゃ、またあとで!」
「はああ?」
取り敢えずの達成感に鼻息荒く部屋を出た。

 
2005/09/04
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