掌が暖かいのは



夜更かしした次の朝、よろよろと台所に向かったオレに、非情な仕打ちが待っていた。
「母さーん、なんで何もないの!」
食卓はぴかぴかに磨かれていて、パン屑1つ落ちていない。
「何言ってんの、今何時だと思ってるの。ちゃんと朝起きてこない子に食べさせるものはないわよ!」
「なんだよちょっと寝坊しただけじゃんか!」
「もう掃除終わってんのよ! うるさい子ね、これでも食べてなさい!」
そう言って母さんが投げつけてきたのは、カゴに山積みになっていたじゃがいもだった。
酷い。
「……せめて生で食えるものとか」
「お母さん今忙しいのよ、自分で勝手に何とかしなさい」
見向きもしない。
言いたい事は色々あるけど、取り合えずさっきからぐうぐう言ってる腹を落ち着かせないとどうにもならない。
オレはごそごそと棚やら冷蔵庫やらを漁って、食パンとハムを取り出した。ハム乗せて3枚くらい食べれば、なんとか昼までもつかもしれない。
ところが一旦食べ始めると全然足りなくて、結局6枚切りの食パンはあっという間に消えていく。最後の一枚は大事に食べないと、なんて思いながら再び冷蔵庫のドアを開けた。
昨日の残りとかなかったっけ。ないんだよなあ、そういうの。いくら多めに作っても、あっという間に平らげてしまう育ち盛りが二人いるから。すぐ食べられるようなものが全くない。
いつもなら、母さんも毎日店に出るから、作り置きのものがあるんだけど。
今は運悪く正月休みだ。どうしたものか。

「ちょっとー」
パタパタと動き回る母さんが、ひょいと台所に顔を覗かせた。
「孝介、パン全部食べちゃだめよ」
「えっ」
遅いよ。丁度ひとくち齧った最後のパンを、無駄とは知りつつ袋に戻そうとすると、母さんの冷たい視線が突き刺さる。
「買い物よろしく」
「う……」
今日は何も用事がないから、一日部屋でだらだらしようと思ってたのに。折角の休みなのに。
雪が降りそうに寒い中、食料品の買出しに行く羽目になってしまった。
しかも母さんはメモを用意している。
パンだけじゃないのかよと思いつつ、普段店の手伝いが殆ど出来ない息子は大人しく従うしかないのだった。



「寒ー!」
腕が抜けそうに重い荷物を抱えて帰ってきた時には、鼻は真っ赤だし手はかじかんでるし足先がしびれてるしで散々だった。おまけに廊下は外と同じくらい寒い。
「こたつこたつ」
コートを脱ぎながら向かう先は、自分の部屋じゃなくて和室だ。普段は客間としてしか使わない部屋だけど、冬場はこたつを出すせいで家族の溜まり場になる。今年から貰い物のオイルヒーターも導入したから、家で一番快適な場所だった。
「ただいまー、ってあれ……」
からりとふすまを開けたオレの視界に妙なものが飛び込んできた。
おかえり、と返される声にも変なのが混じっている。
「……何で浜田がいんの」
4人用のこたつに、父さんと兄ちゃんと、それから浜田。馴染みすぎて脱力しそう。

「何で、じゃないわよ。浜田君、お年始の挨拶に来てくれたのよ」
ぽけっと突っ立っていたら、後ろから母さんがやってきた。
「寒いからさっさと入って」
お盆でオレを押しやって、浜田にお茶を出している。浜田はおかまいなくー、なんて言っている。
なるほど、父さんが脇に置いた包みは浜田が持って来たのか。マメな奴。
それにしても。
「入るところがない……」
オレを押しのけた母さんはさっさと入ってしまって、さっきからこたつにあたってる3人は動かないし。オレ外から帰ったばっかりで寒いんだけど!足とか凍りそうなんだけど!
「お兄様場所変わってください」
「嫌だね」
即答かよ。ぬくぬくしやがって。

遠慮がちに腰を浮かしかけた浜田を父さんが目で制して、兄ちゃんと浜田の間を顎でしゃくる。
「その辺に座らせてもらいなさい」
「孝介ちっこいんだから隙間にでも入ってろよ」
「ちっこくねえよ」
「ちんまいだろ、どうみても」
文句を言っても兄ちゃんはとりあってくれない。168って決してチビじゃないと思うんだけど。とはいえ、この年で母親と似たり寄ったりな背丈なだけに、口調もついつい弱くなる。
そのうちでっかくなるんだから、放っておいてくれ。

場所から言えば、母さんの隣が一番広い。でもさすがにそれは遠慮したいから、仕方なくオレは兄ちゃんと浜田の間に割り込んだ。
いつもだったら、遠慮なく浜田をどかせるなり脚の間に入り込むなりするんだけど、家族の手前そうもいかない。落ち着かないけど、とにかく足先と指先を暖めたくて、もぞもぞと布団に入り込んだ。

皆が話してるのを聞くともなしに聞きながら、早く暖まらないかなあ、と指先をさすっていたら、ふいに暖かなものが右手に触れた。
「え?」
そのままきゅっと包まれる。
「なんだよ孝介」
「あ、いやなんでもない」
誤魔化すために背中を丸めた。
浜田はどうしたの、って素知らぬ顔をしていて、何だか余裕で腹が立つ。
何父さんと和やかに話してんだよ。
いくらこたつ布団の下で誰にも見えないからって、こっちはいきなり心臓ばくばくしてるんだっての。

だって浜田の大きな掌が、オレの冷え切った手を包んでるから。
暖かい指先が、優しく甲を撫でるから。

母さんが昼飯の支度をしに行っても、冷え切っていた身体がすっかり暖まっても。
握り締めて離せなかった。



2006/01/02
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