お料理大作戦



「やっぱり冬は熱燗だなー」
「暖まるねえ」
そんなことを言いながら、早い時間にやって来たおじさん達が寛いでいる。
時刻は18時前、いつもならそろそろ最初の客がやってくる頃だ。

熱い2号徳利を慎重に運びながら、今日は何もなければいいなあと思っていた。
何しろ今日は、家族が来るとかで浜田が休み、その上町内の抜けられない用事で母親が途中までいなくて、店には父親とオレの二人きり。
まあ、何かなんてそう滅多に起こらないだろうけど。
なんて高を括っていたら、予想だにしない出来事が起きた。

「こんばんは」
そう言って引き戸を引いたのは、通学路にある交番に勤務する警察官。いつもは軽く会釈する程度だけど、たまに夜遅くへろへろになって帰るとき、「頑張るねえ」なんて声を掛けてくれるおじさんだ。
どうしたんだろう、と思ったらすまなそうに父親を見て、
「ちょっと、いいですか」
と外を示した。
「何かありましたか」
包丁を握る手を止めて、父親がカウンターから出る。
「いや、最近多発してる不審火のことなんですけどね、何か変わったことがないかお話聞かせてもらえないかと」
「ああ、近所で何件かありましたね」
確かに、大きな火事にはなっていないけれど、ボヤ騒ぎが何件か続いたのは知っている。「営業中に申し訳ない」
「いいえ、何かお役に立てれば」
父親が出て行きがてら振り返って、
「すみませんがちょっと出てきます。孝介、何かお出ししておきなさい」
お客さんに断ってから、オレに言いつけて行った。

何かって。
何を……?

今のところ、おじさんたちはお酒とお新香、それから田楽を頼んでいて、それはもう出ているけど、腹も空く頃だし、父親が帰ってくるまで放っておくわけにも行かない。
だけどオレはもちろん料理なんて出来なくて、冷蔵庫にはあらかじめ下準備しておいた材料が入ってるけど、何と何を合わせてどうすれば料理になるのか、そんなこも全然分からないのだ。
せいぜい、熱燗つけるか豆腐切って出すくらい……?
「こうちゃん、お父さん帰ってくるまで何もしなくていいよ」
「特別にお酌してくれないかなー。実は一回やってほしかったんだよね」
「ああ、いいねえ!」
「いつもは頼めないからね」
見越したおじさんがそう言ってくれるけど、何もしなくて良いわけがない。
あわてて冷蔵庫を開けてみたり戸棚を開けてみたりするけど、やばい、本当にどうしよう。
ああもう、なんで今日に限って浜田がいないんだよ! あいつがいたら、それなりのものをちゃちゃっと作って出せるのに!

いない浜田に八つ当たりをしてうんうん唸って、そういえばずっと前に「これなら泉にも作れるだろ」って浜田が言っていたのを思い出して、大急ぎで鍋を用意する。
昆布を敷いて、白菜をざくざく切って入れて、豚の三枚肉をその上に入れて、また白菜を入れて、何度か繰り返して白菜と豚肉の層を作る。大根おろしをそのうえにたっぷり入れて、あれ、水は先に入れておくんだっけかまあいいやって水も加えてちょっと味を調えて、蓋をして火にかけた。

おじさん達の要望通り、お代わりの熱燗を酌して話に付き合っていると、そのうちにいい匂いが漂ってきた。
「え、こうちゃん何か作ってるの」
「あー、うん、まあ」
「本当に? こうちゃんの手料理?」
「料理ってほど大したもんじゃないんだけど、すきっ腹に酒もよくないし」
「こうちゃんの手料理が食べられる日が来るとは!」
おおーと上がる歓声に慌てる。
「いやだから本当に大した事ないって! 材料突っ込んだだけ……」
「いやー嬉しいねえ。変に凝ってないところがまた新妻っぽくて」
「はあ?」
「いいねえ! あ、ちょっとこうちゃんお玉持ってみてよ」
「お玉にエプロンて新妻っぽいよなあ」
「……はあ?」
おじさん達は勝手に盛り上がっている。
確かに母親命令でエプロン付けてるけど。普通の青いやつ。
ニキビ面の野球小僧つかまえて新妻って、わけわかんねえ……。もう酔ってんのか?

異様に楽しそうな客席からそそくさと逃れて、鍋の様子を見た。
まだ早いかもしれないけど、どうにか火は通ったみたいだし、そろそろ父親も帰ってくるだろうし何とか場繋ぎにはなるだろう。
「ごめん、本当に適当だけど」
鍋を持っていったら、妙に嬉しそうなおじさん達が「待ってました」とはやし立てる。
「一応薄く味付けてるけど、ポン酢とか柚子胡椒つけて食べて」
味付けに全く自信がないから、七味とか色々出してみた。
「うん、さっぱりして美味いよ」
「こうちゃん料理上手じゃない」
「えーと……」
素直に良かった、とは思うけど、こんなに簡単な料理とも呼べないようなもので申し訳なくて、どう答えていいかわからない。
まあ、浜田が教えてくれた物だから、不味いものが出来るとは思わないけど。
でも料理屋で出す物じゃないし、物珍しさ半分お世辞半分ってとこだと思う。
「こうちゃん、ビールもくれる?」
「あ、はい」
「お燗もつけてー」
「はーい」

そうこうしてるうちに、ようやく父親が帰ってきた。
すぐにまたお客さんが入ってきて、おじさんたちはその人に「もう少し早く着たらこうちゃんの料理食べられたのに」なんて言っている。
「ちょ……やめてくださいよ」
何てこと言うんだよ! 
「へえ、それは残念。食べたかったな」
「うまかったよー」
言われた人は笑っていて、居た堪れない。
オレが小さい頃から知ってる昔からのおじさん達ならともかく、その人は最近になって来るようになった人だし、ここが店じゃなかったら「やめろってば!」ってどついてるところだ。
ああもう、本当に止めて欲しい……。

居心地悪くてもぞもぞしていたら母親もようやく来て、
「孝介、ご苦労さま。早いけど休憩しておいで」
と買ってきた夕飯を渡された。
客席の様子をちらりと窺うと、オレが出した鍋はあらかた空になっていて、最後の一杯を掬っているところだった。
作った料理を食べてもらえるのって、嬉しい事なんだ。
よく浜田が休みの時オレに飯作ってくれるけど、「泉に食べさせるのが好きなんだよ」って言ってた気持ちが少し分かった。

でも、やっぱりオレは浜田の料理を食べる方がいいや。




2006/12/17
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