イカ編



 本音を言えば泉と二人きりでいたいのだったが、わざわざ見舞いに来てくれた二人をすげなく追い返すのも気が引ける。それで「ありがとうな」とドアを開けたのだったが、梶山と梅原の第一声は「キモい」だった。
 さすがに顔を顰めたが、自分でもこの耳としっぽは凶悪だと思っているので、見慣れれば可愛いもんだと嘯いて部屋へと促す。
 差し入れのケーキを皿に並べてちゃぶ台を囲むと、寝室からもそもそと布団が出てきた。泉だ。
 猫耳が付いた姿を見せるのがどうにも恥ずかしく、それでも挨拶をしないままでいるのは嫌だと、葛藤の後に布団を被って出てきたのだった。ぺこりと頭を下げ、隣に座る。こっそりとしっぽが動いて布団に入り込むと、泉のしっぽがくるんと巻きついた。
 眠たかったのだろうか、泉はケーキを食べ終わるとすぐにうとうとし始めて、やがて肩に凭れて眠ってしまう。
 
 泉を起こさないように、3人はいつもより小さな声で話した。梅原がとんでもない事を言い出す。
「猫ってイカとか食べると腰抜かすとかいうけど、本当なのかねえ」
 すると梶山が「あれは迷信だろ」と肩を竦めて、ちらりとこちらを見遣るものだから、つい身構えると案の定、二人で人の悪い笑みを浮かべた。
「試してみろよ、なあ」
「玉葱だって猫に与える影響よりずっと少ないんだろ、イカなら腹下すくらいじゃねえの」
「本当かどうか知りたいんだよね」
「浜田がへろへろ腰抜かしたら、すげー笑える」
 ずいずいと近づいてくる。奴らの目は本気だった。
 嫌だ、冗談じゃねえ、と言っても一向に気にする様子もない。どうしたものかと思案するうち、ふと気付いた。
「絶対嫌だ。オレが腰抜かして泉がびっくりしたらかわいそうだろ」
 すると二人はぴたりと口を噤んで、すやすやと眠る泉を見てからうんうんと頷いた。
「それもそうだ」
 あっさりと引き下がる。
 泉が頭から被っていた布団はいつの間にかずり落ちて、可愛らしい黒耳がぴょこんと出ている。肩まで引き上げてやると、むにゃむにゃと何事かを呟いて腕に鼻を擦り付けた。

 あどけない寝顔を見ているうち、ふと悪戯心が刺激されて、泉にイカをちょっとだけ、ほんの欠片程度食べさせてみたらどうだろうと思いつく。
 立ち上がろうとして腰を抜かし、床にへなへなと座り込む泉の姿を思い浮かべた。きっとわけがわからず、無防備な顔で浜田を見上げるだろう。そんな表情で見つめられたら、それはそれは愛らしいに違いなく、ぎゅうぎゅうと抱きしめたくなるはずだ。抱きしめるだけでなく、とがった耳にもふっくらとした頬にも大きな目にも、顔中にキスをしたくなるはずだ。
 けれど想像して楽しむだけで我慢する。
 うっかり玉葱を食べてしまって貧血を起こした時、泉は酷く心配をして、ずっと看ていてくれた。あまり心配はないと分かった後でも、ずっと不安げな顔で寄り添っていてくれた。それを思うと、大事はないと分かっていても迂闊な事は出来ない。
 それに何より、もし泉がへたり込んでしまったら、今度は自分が慌ててしまって、とんでもない醜態をさらすことになりそうだった。
 
 泉が小さく身じろいだのを機に、梅原はそろそろ帰ると言って立ち上がった。これは泉に、と焼き菓子の入った袋を置いて、梶山も立ち上がる。
 先に泉をベッドに運んで、布団をかけてやってから、見送りに玄関先へ行った。すると外へ出た梅原が思い出したように振り返り、包みを投げて遣した。

 戻りがてら包みを開けると、そこには1杯のイカが入っていた。どうりで妙な重みがあったはずだ。
 しばらくそれを眺め、寝室の布団の塊を眺めてから、取り敢えずは冷凍庫へと押し込む。コーヒーカップと皿を洗い、冷凍庫のドアをちらりと見て、泉がうっかり取り出さないようにと奥の方へ隠しておいた。
 それから寝室へ戻ってベッドへ上がると、泉が薄目を開けて「あれ…梶山さんと梅原さんは?」とぼんやり尋ねたので、
「今さっき帰ったところ。焼き菓子貰ったから後で食べような」
 と黒い耳をくすぐった。
 
 イカは秘密にしておくことにした。

2006/02/05
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