電源off



「一緒に暮らしちゃう?」
あれは3月の半ば、冗談めかした浜田の台詞にばーかと笑ったけれど。
そのときの俺は別の大学に行くってことがどういうことか、何もわかっちゃいなかった。



夕飯を一緒に食べようと誘われ、数週間ぶりに会った浜田は相変わらずで、だけど以前より大人に見えた。
たかが数週間でそれほど変わるものかとは思うけれど、ほんの少し前までは毎日顔を会わせていたから奇妙な感じがするのかもしれなくて、ああもう高校生じゃないんだと落ち着かない気持ちになる。もう新しい生活が始まって一月は経つのに。

賑やかな店で浜田は良く喋った。オレは頷くばかりで専ら料理に手を伸ばしていたけれど、最後の釜飯が出てくる頃には待ち合わせの時に感じたぎこちなさもすっかりなくなって、高校に戻ったみたいに二人でわあわあ騒いでいた。少しだけ余った釜飯をどっちが食うかで言い争いながら、ああやっぱりこういうのがいいよな、と安心する。
結局は半分ずつするか、となって、でも浜田はいつもオレのほうを当たり前みたいに少しだけ多くする。こんな時はちょっとだけ、浜田との年の差を思い知らされた。
出されたほうじ茶を飲みながら、これからどうする、うち来る?なんて言ってる時、数人の客が入ってきた。わいわいと喋りながらその集団は、オレ達が座る席の横を通り過ぎていく。

「あれ、浜田君?」
「浜田じゃん」
「おーす」
浜田の顔見知りらしい。
「こいつ高校の友達」
「ども」
ごく簡単に紹介されたのを皮切りに、他の席からも人がやってきた。どうやらこの店で待ち合わせだったようだ。 相変わらず顔が広いんだなと感心したのも束の間、わらわらと現れる女の子たちにだんだんと嫉妬を覚え、それでも愛想よく挨拶してみせたのには、我ながら大人になったもんだとしみじみ思う。
複雑な内心を押し隠し、こうなったらとことんつきあってやるかと腹を決めたところで、唐突に浜田がこのあと予定あるから、と話を打ち切った。
そんなのあったっけ、家でだらだらするだけじゃなかったか?
さっさとレシートを掴んで立ち上がる浜田に面食らった俺は、ごめんねまたね、と手を降る彼女たちに曖昧に頷いて後を追った。

浜田は店を出てからも、足早に歩いて後ろを振り返らなかった。
「浜田、浜田!」
何度か名前を読んで、ようやく足を止めた浜田は勢いよく振り向き、オレを睨んだ。
「何だよ、何で急に機嫌わりぃの」
「泉こそ何だよ、にこにこしやがって。あの中に好みの子でもいた?」
「はあ?」
突拍子もない浜田の台詞に驚いたオレは、思わず口をぽかんと開けて、間抜けな顔を晒してしまった。
余りに間抜け面だったのだろう、浜田はすぐに自分が馬鹿な事を言ったのだと気付いて、恥ずかしそうに目を伏せる。
おまえこそ誰にでもいい顔しやがって、そう言いたかったけど、代わりに腕をひっぱった。
「ばかじゃねぇの、コーヒー飲みたいからさっさとうち行くぞ」
こんな大男がもじもじしてる様など気持ち悪いばかりなのに、耳まで赤くした浜田が可愛くて仕方ない。オレってこんなに悪趣味だったっけ、と首を捻りながら、大人しく付いて来る浜田の腕を放り出した。本当は離したくなかったけど。






「泉とゆっくりするのも久しぶりだよなあ」
「うん」
浜田が作ってきてくれたカップケーキは美味かった。相変わらず器用な男だ。
その器用な男は1つだけ食べたケーキの銀紙を指先でもてあそびながら、コーヒーに牛乳が溶けていく様を眺めている。
「なんかすげー不思議だよな」
妙にしみじみとした口調で言う。
「高校の時は毎日一緒だったし、小中は学年別だったけど同じ廊下ですれ違ったり部活で顔会わせたりしてたのにさ、今は朝教室入っても泉いないし。敷地内のどこにもいないんだなあって」
浜田は視線を落としたままで、一旦言葉を切った。
オレはごくごくと勢いよくコーヒーを飲み続ける。
「泉が傍にいなくて寂しいよ」

「ふーん」
空になったコーヒーカップを持って流しに立った。 冷たいなあ泉とぼやく浜田の声を背中に聞きながら、スポンジを泡立てて大して汚れてもいないカップをごしごし洗う。
浜田はずるい。
俺が意地を張ってどうしても口にできないことを、こんな風にするりと言ってしまう。
俺が今不覚にも泣きそうになって、それを必死を堪えてるなんて、きっと思いもしないんだ。

じんわり浮かんだ涙をどうにかごまかして戻ると、浜田は机に置かれたパソコンを眺めていた。キーボードを叩くまねをして、どうも苦手なんだよなと苦笑いをする。
その仕草に思い出した。
「やべ、課題送ってねえや」
慌てて電源を入れる。すっかり忘れていたが、今日の24時提出締め切りの課題があったのだ。メール提出で助かった。
「わりぃ、これ今日までだった。すぐ終わるから」
「ん、いーよ適当にしてる」

今までのしんみりした気分も吹き飛んで、途中で放り出したままになっていたレポートを書き出した。一応草稿は出来ていたから大して時間もかからず、1時間もしないうちに終わった。
送信ボタンを押して、やれやれとため息が出る。
「終わったー」
振り向くと浜田がいたはずの場所にはカップだけが残され、本人は玄関先でなぜか壁を向いて座り込んでいた。
小さく話し声がする。少し首を伸ばすと耳に携帯を当てているのが見え、どうやら話中であることが窺えた。声が届かないように気を使ってくれたらしい。

「は?今から?」
不意に今までよりも大きな声が聞こえ、びくりと肩が震えた。
今からって何だ。誰かに誘われてるのか。そいつのところに行っちゃうのか。
浜田がそういう奴じゃないって勿論わかってる。なんだかんだオレを優先してくれる。
でも女の子だったら?泣きながら「浜田君、お願い」って言われたら?
すげー仲良い奴に「本当にどうしたらいいのか分からなくて、浜田しか相談できる奴いなんだ」って頼まれたら?

今のオレは浜田が大学でどんな風で誰と仲がいいなんて全く知らない。浜田に惚れてる子がいたって、積極的にアプローチしてたって、何も知らない。
「……」
「泉?」
気が付いたら浜田の手から携帯を奪っていた。
駄目だ、と頭のどこかで制止の声が掛かる。
けれど指が理性を裏切って、ボタンを長押ししてしまう。電源が切れた。ふつりと画面が暗くなる。
「今日は俺と一緒にいろよ」
何やってんだオレ、最低だろ。
言ったそばから後悔した。暴挙に驚いて呆然としたままの浜田からの反応はない。

いたたまれなくなって目をそらした瞬間、強い力で抱きしめられた。
「せっかく泉といるのに他行くわけないだろ」
浜田が言う。
「電話しててごめんな」
安心して恥ずかしくて一気に顔か熱くなった。
呼ばれたからまたななんて、言うわけないじゃないか。奪い取った携帯からは、飲み屋特有の賑やかな喋り声が聞こえていたじゃないか。
どうしてどこか行っちゃうなんて思ったんだろう。自分が課題で放っておいた癖に、電話してた浜田に放って置かれた気がしたなんて、いくらなんでも身勝手過ぎる。
みっともない顔を見られないように浜田の肩に顔を押しつけた。
「……ごめん、電話…」
小さく謝るといいよ、とあっさり返された。あやすように背中を撫でる掌が心地よくて、高ぶっていた神経が徐々に静まっていく。
気恥ずかしさに身じろいで、浜田の腕から逃れようとしたけれど、浜田は離してくれるどころかいっそうぎゅうぎゅうとオレを抱きしめた。
なんだかオレは浜田と一緒にいると、どんどん我侭になっていくみたいだ。

「泉」
浜田はオレが握りしめたままだった携帯を手からそっと取って、開けっ放しのリュックにぽいと投げ入れた。
「明日までこれは無視」
「…いいのかよ?」
「ん。どうせもう酔っ払ってたし。覚えてないだろ」
「でも」
「いいの。あとでメール入れておけばいいだろ」
「……」
浜田はオレを甘やかし過ぎると思う。それでも明日までの時間を全部オレにくれたことが素直に嬉しくて、背伸びをして浜田に久しぶりのキスをした。
すぐに浜田は応えて、長い長いキスになった。






それからたくさんセックスをして、二人でへろへろになって、ぴったりくっついて眠った。
起きたらもう昼近くて、ぼんやりしながら浜田の寝顔とか、茶色い癖っ毛が光を受けてきらきらしてるのとか、むき出しの肩に残るオレがつけた跡とか、そんなものを眺めていたら。

「一緒に暮らそう」

思わず口を突いて出た。
2005/09/17
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(extra)


……なんてな。起きてたら絶対言わないけどな。
浜田は太陽の光を顔に受けてるのにも関わらず、すうすうと寝息を立てている。眩しくないんだろうか。暑くないんだろうか。心なしか顔が赤い。やっぱり暑いんじゃねえの。
……ん?
じーっと顔を見る。
頬が赤い。
どんどん赤くなる。
……んん?
口元がもぞもぞ動く。

「…!て、てめー起きてたな!」
「痛…っ」
思いっきり蹴飛ばした。
信じらんねー、こいつ狸寝入りしてやがったのかよ!もしかして今の聞かれてた?いやもしかしなくても聞いてたって事だよな。
「いいい今の嘘だから!ちょっと言ってみただけっつうか言葉のアヤっつうか将来の予行演習っつうかやっぱり本番でとちったら恥ずかしいし!」
頭がカーッとなって、もはや何を言ってるのか分からない。
「だから今のは聞かなかった事に」
「オレ泉と暮らしたいなってずっと思ってたよ」
オレの照れ隠しなんか丸ごと無視して、浜田はそう言った。
だからなんでそうやってさらっと言っちゃうんだよ。
「…オレだってそう思ってたよ」
「ありがと、すげー嬉しい」
悔し紛れに言うと、浜田が目を閉じたままへへっと笑う。もう喋ってんだからさ、寝た振りしても意味ないと思うんだけど。
「なあ、いい加減目ぇ開ければ?」
「え?あー、うん、だめ」
「は?」
「今、目開けたら泣くから。ちょっと待ってて」
「……」
その時の衝撃を何て表現したらいいんだろう。心臓を鷲掴みされたようにぎゅってなって、とにかくびっくりして、まじまじと浜田の顔を見つめてしまった。
「浜田、目、開けて」
「だめだって。笑うだろ」
「笑わねえよ」
「……ほんと?」
「ほんとほんと」
声にからかいの色がないのがわかったのか、渋々ながら浜田はずっと閉じたままだった目を開けた。オレはその様子を息を詰めて見つめる。
「うわ」
思わず呟いてしまってから、恨めしそうな視線に慌てて違う違うと手を振る。
確かに浜田の目は潤んでいた。
照れて再び瞼を伏せようとしたその動きにつられて、しずくがほろりとシーツにこぼれる。
オレはそっと涙の跡を指で拭った。

今更なんだけど。本当に今更なんだけど。
オレって浜田のこと好きなんだなあって思う。
だって今、ものすごく幸せだから。

 
2005/09/18
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