ある朝の風景



狭い台所の壁に貼られたカレンダーを見て気付いた。
「あ、今日燃えるゴミだ」
時計を見る。5時半を少し回ったところ。
「……今の内に行っとくかな」
部屋着兼寝巻きのスウェットに、玄関先に放ってあったダウンという珍妙な格好で、まだ暗い外へ出た。

本当は片付けものをしてからゴミ出したほうがいいっていうのは分かっている。それでも敢えて今行くのは、ゴミ捨て場で人に会いたくないからだ。
ちゃんと分別してないから咎められるのがいやだとか、何か疚しいところがあるわけじゃない。引越し前の母親による手厳しい指導と、浜田のマメさのおかげで、その点に関しては完璧だ。
何が嫌って、おばさんたちに捕まるのが嫌なのだ。

オレが住んでるマンションは築年数が古く、独身用のワンルームから家族用の4LDKまで幅広い。そういったマンションは安全面からは信用が置けるらしいけど、反面、人の繋がりもあって、オレみたいな新参者は割合好奇の目で見られることもある。
しかもついこの間、図体のでかい浜田が転がり込んできたから、多分今誰かに会ったら、餌食にされるだろう。
浜田は既におばさんたちの洗礼を受けたらしい。でもあいつはああいう奴だから、ちゃっかりお土産にビニル袋一杯のみかんなぞ貰ってきたりして、それなりにうまくやっている。

けれどオレはそんなにうまく立ち回ることも出来なくて、はあ、とかそうですね、とか、もごもご返事を返すのに精一杯で、しかも浜田君って何でもできるのねえ、家の子のお婿さんになってほしいわあ、なんて発言にも愛想笑いを浮かべてなきゃいけなくて、かなり辛い。
浜田はやらねえよ、って気持ちと、オレはそういう対象にはならないのかよ、って気持ちのどちらが強いかは微妙なところだ。

階段を小走りに降りて裏口を出て、ゴミ置き場へ向かう。
よかった、まだ誰もいない。
回収車が来るころには結構な量があるけれど、まださすがにゴミ袋はなくて、オレが一番乗りだった。
「これ、昨日のうちに出したとか思われないよな……?」
ちょっと心配になりつつ、持っていたゴミ袋を置いてそそくさと部屋に戻った。

ドアを開けたらいい匂いがして、あれ、と思ったら案の定、浜田がひょいと顔を覗かせた。
「おかえりー。泉も朝ごはんまだだろ?」
「うん。浜田起きたの?もしかしてさっき起こしちゃった?」
まだ熟睡してたから、気を付けて布団から抜けてきたつもりだったのに、やっぱり起こしたのだろうか。
「んや、腹減って目ぇ覚めちゃった」
はは、と笑いながらフライパンの卵をくるくると巻いていく。
「飯なに?」
「ご飯とー、大根と油揚げの味噌汁と、玉子焼き、ひじきの煮物、あとぶりの照り焼き」
「うまそう」
「もう少しかかるけど、いい?」
「うん」
文句なんてあるわけがない。



出来立てのおいしい朝食を、浜田と一緒に食べる。
昔からよく泊まっていたから、別に取り立てて感激するような事でもないのだけど、やっぱり毎回嬉しくてこそばゆい。
万年新婚夫婦かよと突っ込みたくなるくらい、毎日毎日浮かれてるのだ、本当は。でもそれを浜田に知られるのが恥ずかしくて、わざと素っ気無い風を装っている。……つもりなんだけど、多分ばれてるんだろうなあ。

「ゴミ捨て場、誰もいなかった?」
浜田がにやにや笑いながら聞いてきた。オレがあのおばさんたちが苦手なのを知ってるのだ。
「あの人達、そんな面倒な人達じゃないよ」
「知ってる」
子どもで悪かったな、とぶっきらぼうに言うと、ますます浜田は笑って、みそ汁に噎せた。ざまみろ。
「ああそういえばさー、武田さん、オレ達のこと同棲カップルだと思ってたんだって!」
「はあ?」
突飛な台詞に思わず箸にとったひじきを落とした。タケダサンて誰?
「そんで泉のこと、『格好もさっぱりしてるから、最初男の子だと勘違いしてたけど女の子だったのね、ごめんね』って」
「……」
「したら川口さんが、『あら私はちゃんと女の子って知ってたわよ、だってすごく可愛いもの』って……!」
「……」
浜田は一人でウケている。

「なあ、それちゃんと誤解解いたよな?」
腹を抱えて笑い続ける浜田を冷たい目で眺めながら、念の為に聞いておく。
「え?あ、うん、つうか今井さんが『泉さんて男の子ですよね……?』って言ってくれて、『友達と同居って楽しそうでいいわねえ』って話になった」
涙目になりながら浜田は答える。タケダさんカワグチさんイマイさんは、おばさんたちの名前なんだろう。いつのまに名前まで。

一応正しく認識されたらしいけど、ますます顔を合わせ辛くなった。ちょっとは話したことあるのに、声で分からなかったんだろうか。どう聞いても女っぽい声じゃないと思う。
女と間違われていた事に凹みながら、むっつりとした顔のままぶりを口に放り込んだ。
「ぶり、しょっぱったか?」
いや違うって。
「うまいよ、また作って」
そう言ってもまだ眉が下がっている。しかたなく
「何で間違われるんだ」
と漏らした。ものすごく気にしてるみたいで格好悪いから、言いたくなかったのに。
「皆『泉さんて礼儀正しくて可愛らしい人よね』って褒めてたよ」
可愛いは余計だ。
しかもそれ、フォローなんだか何なんだか。

「ごはんのおかわりは?」
「貰う」
差し出された手に椀を渡して、ふてくされ気味のオレは浜田の皿からぶりを一口分奪った。ついでにひじきも。
玉子焼きまで奪おうとしたところで呆れ顔の浜田と目が合って、不発に終わった箸をそろそろと戻した。
「まあ、間違ってないよな」
ご飯茶碗を返してくれながら浜田が言う。
「同棲だもんな」
「ただの同居だろ」
「強情だな」
浜田は笑って、玉子焼きをオレの口に入れてくれた。


 
2006/02/01
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