流行り病



耳の上辺りがもぞもぞする、と泉が言うので、晩御飯は鍋にした。
きっと風邪の引きはじめだろうから、身体を暖めないといけない。
眠る前に葛根湯を飲ませたら、苦いと顔を顰めた。

次の日は案の定、泉の頭に黒くて三角の、可愛らしい耳が生えていた。お尻を覗き込むと、やっぱり黒い、つやつやの尻尾もちゃんとある。
最近は奇妙な風邪がはやっていて、熱を出したり鼻が出たりすることも無い代わりに、こうして猫のような耳やら尻尾やらが生えてくるのだった。



泉は寒い寒いと言って、一日中オレにぺっとりくっついている。
はじめは横に座って凭れていたのが、そのうち膝を枕にして丸くなり、飽きてくると首にしがみついてシャツの襟をもぐもぐと食んだ。
外に出たい、野球がしたいとぶつぶつ文句を言ってはいるが、そう機嫌は悪くないらしく、尻尾がぱたりぱたりと楽しげにシーツを叩く。その様子があまりにも可愛らしいので、薄い耳を柔らかく噛んでみたら、驚いて尻尾が硬直した。まっすぐに上を向いて毛が逆立っている。
ごめんごめんと慌てて謝ったけれど、泉は怒って部屋の隅っこへ逃げてしまった。小さい背中に布団を被せてやると、身体に巻きつけていもむしのようになる。壁を向いたまま、オレの顔は見てくれない。

仕方なしに買い物に出た。部屋を出る時も泉はそっぽを向いて、すぐに戻るからと声を掛けたオレに、戻ってこなくていいとにべもない。本格的に機嫌を損ねてしまったようだ。
それでも振り返った先に元気の無い尻尾が見えたから、なるべく早く帰ってあげようと商店街へ急ぐ。肉屋へ行って、魚屋へ行って、途中で大判焼きを買って、最後に八百屋でしょうがを買った。大家のおばさんが風邪にはしょうが湯だよと言っていたのだ。蜂蜜を沢山入れて甘くしたら、きっと泉も飲んでくれるだろう。

信号を渡ったところで近所の奥さん3人組に捕まった。 1人ですら手ごわいというのに、3人束になって掛かってこられたら、しがない高校生のオレが敵う筈があるだろうか。いや、ない。あるわけがない。
オレは大人しく奥さんたちの餌食となった。あらお買い物?いつもえらいわねえ、うちの子なんて何一つしやしないのよ。浜ちゃんいい旦那様になるわねえ。なんて言われても嬉しくない。どうして目がうっとりしているんですか。うちの娘自慢はもう何度も聞いたのです。お婿さんになってくれない?なんて、泉のおばさん以外に言われても嬉しくも何ともないのです。

辺りに味噌汁のいい匂いが漂って、ようやくオレは解放された。ちょっとの買い物のつもりが、2時間は経ってしまっている。
慌ててアパートに戻ってドアを開けると、薄暗い中に泉がちんまり座っていた。その姿に堪らなくなって、遅くなってごめんと抱きしめたら、ここが暖かいだけと分かり易い嘘を吐く。くるまった布団は冷たくて、ずっとこの寒い玄関先で待っていたのだと知れた。
布団ごと泉を持ち上げて、ベッドに運んでさらに毛布を被せた。背中辺りをぽんぽんと叩いてから、飯の支度をしようと立ち上がると、シャツの裾を掴まれる。オレも離れたくないけれど、何か食べさせないと風邪が治らない。それで結局、泉をくっつけたまま台所へ向かった。

背中に張り付いた泉は、しきりに額やら鼻やらをこすりつけている。鼻が痒いと言ってはいるけれど、きっと匂いをかいで安心しているのだろう。その証拠に、時々満足げなため息が小さく聞こえる。何だか本当に猫みたいだ。
泉がしがみついているから包丁も火も使えないので、とりあえず電子レンジで大判焼きと牛乳を温めた。テーブルに並べても、泉はオレにぴたりと張り付いて見向きもしない。尻尾は甘い匂いに興味を示しているのに。
椅子を引いても動かないので、腹に回された腕を引っ張って、椅子に座った膝の上に抱き上げた。それでもやっぱり動かない。耳と鼻がひくついているから、すぐに食べ始めるだろうとは思ったけれど、ひとつつまんで口元に運んでみた。
すると泉は大きく口を開けて、大判焼きに齧りつく。うまい?と聞くと小さく頷いた。
あっという間に3つ食べてしまって、温い牛乳を飲ませてやると、腹が満たされて眠くなったのか、もういらないと首を振った。もぞもぞと動いて横向きになった泉は、こてんと首を傾けて目を閉じた。なんとか薬を飲ませてから、起こさないように、そっとベッドに運ぶ。

泉が寝ているうちに、夕飯を済ませてしまおう。しょうが湯も作っておいて、起きたら飲ませてやろう。そう思いながら頭を撫でていたら、泉は薄っすら目を開けて、ぼんやりとオレを見上げてきた。耳の付け根や喉を軽く掻いてみる。すると気持ち良さそうに目を細めるので、
「うちの子になる?」
と聞いてみた。泉は、ごろごろと喉を鳴らしそうな顔で
「絶対、嫌」
と笑った。

風邪引き泉はわがままだ。

2005/09/25
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