朝もや



たいてい浜田は泉と一緒に起きて、泉が支度をしている間に食事の用意をしてしまい、まだぼんやりしている泉に朝食を食べさせる。食事が終わるころには泉もすっかり目を覚まして、浜田に見送られてグラウンドへ急ぐのだ。
朝練に合わせて起きてくれるばかりか、朝食まで用意してくれる浜田には頭が下がる。そこまでしてくれなくてもとは思うものの、何度も遠慮したり泊まるのを止めた結果、かえって浜田を悲しませてしまったので、好意に甘えることにしたのだった。
きついんじゃないの、と問えば、適当に手ぇ抜くから平気、と笑われた。

今日は浜田は起きてこない。
浜田が起きない日は、泉は一人で目を覚まして、浜田の暢気な寝顔をしばらく眺めてから、夜の間に用意されたおにぎりを食べたりするのだが、昨日の内に食事の用意もいらないと言っておいたから、テーブルの上も綺麗に片づいていた。
規則正しい寝息を聞きながら、そっとドアを開ける。朝の冷たい空気が流れ込んできた。浜田を起こさないように慎重に鍵を閉めて、階段を駆け降りた。
鍵はずいぶん前に、合い鍵を渡されていた。いつでも使っていいよとは言われたが、余所の家に勝手に上がり込む気にはなれず、こうして朝一人で出かけるときにしか使ったことはない。

「さみーなぁ」
思わず身震いをした。
練習着を忘れたせいで、一旦家に戻るはめになったことが恨めしい。昨日の晩には、面倒だけど仕方ない、たまには浜田もゆっくり寝かせてやるかなんて殊勝な気持ちでいたのだが、本当ならまだ浜田と一緒にいて、今頃焼きたてのパンに齧りついているはずだとか、起きて早々につけたヒーターもいい具合に暖まって、ぬくぬくとささやかな幸せに浸っているはずなのにとか、そんな事を思うと、何だかつまらない気分になってくる。
路地には人気がなく、いっそう寒々くて、このままでは練習に行くのさえ億劫になってしまいそうだった。
体を暖めがてら走って帰るかと、軽く足を蹴った時。
「泉!」
まだ少し眠たそうな声がした。

振り向くと、外まで走ってきたらしい浜田が肩で息をついて立っていた。
泉は驚いて、目を瞬かせる。起こしてしまっただろうか。
「一旦戻るんだろ?」
「うん」
「じゃあさ、家まで送る」
「え、なんで」
横へ並んだ浜田を見上げると、ふにゃりと笑った。
「もうちょっと一緒にいたいなーと思って」
「昨日ずっと一緒だっただろ」
「うん。でもまだ足りない」
そう言って、泉の肩を抱き寄せてしまった。
「おい」
「まだ暗いし、誰もいないし。あそこの曲がり角まで、な」
確かに人気は無いが、もしかしたら誰か来るかもしれないと不安に思う。それでもぴったりとくっついた身体は暖かくて心地よく、腕を振り解くのも躊躇われた。
それで結局、しょうがねえなあ、寒いしな、と言い訳のように呟いて、そのまま歩き出したのだった。

100mはあっという間に過ぎてしまった。
肩を抱いていた腕はすぐに離れ、後にはぬくもりがほんの少し残された。それを寂しいと思いながらも敢えて前を見たままでいたら、今度は手を握られた。
また文句を言ってやろうかと口を開きかけたが、物音がしたらすぐに放り出そうと決めて、文句を言う代わりに強く握り返す。
浜田の手は泉の手よりも大きくて、とても暖かかった。

あまりに街が静かなので、浜田も泉も口数が少ない。ぽつりぽつりと、今日の宿題やってないとか、昼は何にしようとか、他愛もない会話をするくらいだった。それでも気まずさは全くなく、飛び出してきた猫に驚いて手を慌てて離し、また繋いで、互いに身体をぎゅうぎゅうと押し合っては笑いを噛み殺しながら歩いた。



「そんじゃあまた後でな」
門をくぐったら浜田が手を振るので、思わず腕を引っ張って玄関先に押し込んでしまった。
「ついでに朝飯食ってけばいいだろ」
「え、でもオレ顔も洗ってないし」
「浜田の顔なんか、洗っても洗ってなくても変わんねえよ」
「うわひで」
そんなやり取りをしていたら母親が顔を出して、いつもお世話になってごめんねとか、朝ごはん食べて行きなさいよとか、言いながら背中を押して家の中へ上がらせてしまう。

母親の用意した朝食を、浜田と向かい合って食べるのは妙な感じがした。浜田もそれは同じだったようで、目が合うと照れたように笑う。
「ついでに朝練出れば」
「そうだなあ、そうしようかな」
また手を繋いで歩いてもいい。
言わなかったのに、何故か伝わったようだった。

いつもと違って家の台所はまだ暖まってなくて、浜田の家よりも寒かったけれど、いつもと同じようにぬくぬくとしていい気分だった。

2005/11/05
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