初氷



浜田は寒がりだ。
ヒーターはのぼせるから嫌だとめったに付けないくせに、秋口から着ぶくれて冬が来るころにはもこもこの物体になる。
今だって、オレはTシャツの上にフリースを着ているだけなのに、浜田は分厚いダウンジャケットの上からマフラーをぐるぐる巻いて、ニットキャップを目深に被っている。そのうえジャケットの下は3枚くらい重ねていた。
でかい身体を丸めてぶるぶる震えるさまは、かなり間抜けだ。

「さみーよーさみーよー」
あまりに情けない声を出すので、あからさまに呆れた視線を向けてしまった。すると不服そうな目を向けて、オレの腕を引っ張る。
「泉は寒くねえの?そんな薄着で」
「そんな大げさに騒ぐほどじゃねえだろ」
「何でそんなに元気なんだろう……子供は風の子だから?」
「子供言うな」
ひとつしか違わないくせに。
おっさん呼ばわりすると大げさに嫌そうな顔をするのは誰だ。

そんなに寒いならさっさと家に戻ろう、と言おうとして、密着しそうな距離に浜田がいることに気づいた。夜の公園は人気がないとはいえ、入り口も近くて落ち着かない。
それとなく距離をあけようとすると、逆に浜田がにじり寄って来た。
「ちょっとちょっと」
「……なんだよ」
「いいから」
「なにがだよ」
近寄るな、と目で牽制しつていると、コツコツとアスファルトを叩く音がした。公園の入り口に面した道を、ハイヒールを履いた女の人が通り過ぎていく。
ほら、近いじゃないか。あの人はオレ達になんか目もくれなかったけど、何の気もなしに公園を見る人だっているはずで、そうしたら男二人が妙に寄り添ってる奇妙な姿を見られてしまう。

じりじりと近づく浜田、じりじりと後ずさるオレ。
右肩がフェンスにぶつかって、あ、と思った隙に抱きこまれてしまった。
「うっぜえ離れろ」
ひんやりとしたダウンの表地が気持ち悪い。
突き飛ばそうと乱暴に振り上げた腕は、あっさり捕らえてさらにきつく抱きしめられた。
「離せよ浜田」
「嫌。もうちょっとだな」
何がもうちょっとだ。オレの意思は完全無視かよ。
浜田は左腕でオレを拘束しながら、右手でマフラーを解いた。
何するつもりだ、と怪訝に思いながら見ていると、ダウンの前を開けてその中にさっとオレの身体を押し込んでしまう。
「おい!」
「泉あったかいなー」

無くなってしまった距離に緊張する。胸に頭を押し付けられて、否応なく浜田の匂いを意識してしまう。どうしよう。
浜田はそんなオレの戸惑いなんかちっとも気づかないまま、満足気なため息を漏らした。いい匂い、なんて言ってオレの髪を漉く。きっとどうしようもなく緩みきった顔をしているんだろう。
いい匂いのする男なんて気味が悪い、ましてや香水の類を付けているわけじゃないのに。
でも、本人には絶対言いたくないけど、浜田の匂いは好きだ。近くにいてふと意識するとき、安心するし好きだなあって思う。
だから多分、浜田がよく顔を近づけて「泉いい匂い」って笑うのは、そういうことなんだろう。
そう思ったら、むげに突き放すこともできなくなってしまった。

「いつまでやってんだよ」
「あったまるまで」
「あったまったら離してくれんの」
「……泉次第かな」
浜田はたまに意地悪を言う。
睨み上げると予想どおり緩みきった顔がオレを見ていた。
「うぜえな」
本当に、心底うっとおしい。うんざりして顔を背ければ、まだ凍ったままの水溜りが目に入った。
そうか、もうそんな時期なのか。
薄く張った氷を伸ばした足でつつくと、小さく音を立てて崩れていった。
「ん、氷張ってんの?」
「そー。今年初めてかも」
「そだな。どうりで寒いわけだよなあ」
浜田の身体が思い出したようにぶるりと震えた。 今からこんなで、もっと寒くなったらどうするんだ。

「はーあったかい、気持ちいー」
「苦しい」
文句を言っても離してくれるどころか、よりいっそう力を込める。寒がりの留年野郎が暖まる前に、オレが酸欠でへろへろになってしまいそうだ。
いや、既にへろへろなんだけど。苦しいんだけど。
ダウンジャケットに閉じ込められてるせいだ。浜田の体温が近いからとか、腕の中が気持ち良いからとかではない。決して。

「幸せー」
「オレは全然幸せじゃない」
「そう?」
本当は嬉しいくせに、とでも思っていそうな余裕しゃくしゃくの態度がむかつく。
それでもあまりに浜田が幸せそうなので、まあいいかと抱きしめ返してやった。

2005/12/8
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