サクラサク



舞台の上では卓球部の先輩たちが数人、わいわいと喋っていた。
体育館は音響が悪くて、前から3番目に座っていてもあまり明瞭に聞き取れない。
もっとも、はなから聞く気はないから、別に構わなかった。
各部に与えられたPR時間は3分だけ、それでも西浦には結構な数があって、おかげでこの人口密度が高すぎる体育館に閉じ込められて既に1時間以上が経っている。

早く終わんねえかな。思わず出そうになった欠伸を、下を向いて誤魔化した。
外は晴天、校庭の端に植えられた桜はもう葉っぱだらけだけど、風に吹かれて残り少ない花びらがふわふわと漂っているのが何ともいい感じだ。
一回下見に来たけど、その時は同じクラスの奴らと一緒だったから、あんまりグラウンドはゆっくり見られなかった。遠目にぐるりと見渡した程度だ。今日は練習に参加は出来ないだろうけど、見学が出来るだけで嬉しい。

『それでは、次は野球部です』

アナウンスが流れる。思わず姿勢を正してしまった。
左端から数人が中央に出てくる。据えられたマイクをかがんで取った、背の高い人は主将の花井先輩だ。地元の新聞にも小さく顔写真が出ていたから、間違いない。
『こんにちは、野球部で主将をやらせてもらってます、2年の花井です』
あちこちから小さく「格好良いね」なんて女の子の声が聞こえた。確かに、潔い坊主頭ではあるけれど、泥臭い感じが全くなくて何となくお洒落で坊主頭してます、みたいな感じがある。顔が良いって得だよな。
一緒に出てきたもう2人は副主将らしい、垂れ目でちょっと厳しそうな人が阿部先輩で、にこにこしてて優しそうな人が栄口先輩だそうだ。軽く挨拶をして、一歩後ろに下がった。説明は花井先輩がするようだ。それにしても。花井先輩は生真面目そうだし、何ともバランスの取れた首脳陣だ。

元々高校でも野球をしようとは考えていたけれど、有名どころを目指す気にはなれなかった。西浦を選んだのは夏の大会で試合を見たからだ。部員10人ならちょっと頑張れば即レギュラーかもな、なんて捻くれたこともちらっと考えた。
だけど決め手になったのは、やっぱり彼らが皆ものすごく真剣で、楽しそうに野球をしてたからだ。あの人達と一緒に野球やりてえなあ、って興奮したからだ。

『朝は5時から、夜は9時まで練習してます』

花井先輩がさらりと言って、辺りがざわついた。1年前だったら冗談じゃないって思ってたかもしれないけど、今はむしろ楽しみだ。何しろ試合見て以来、ここの野球部で野球する事しか考えてない。

「な、マネジ2人ともかわいくね?」
隣の奴が肘を突付く。
「そうだっけ」
「かなりかわいいって!」
話に集中しすぎて、マネジの顔なんかろくに見てもいなかった。興奮気味に言うのに押されて、端にいる二人に視線を向ける。
公式戦の時なんかに着ているのだろうか、2人ともセーラー服を着ていた。小さくて細い人はふわふわの茶色い髪を二つに緩く結んでいる。もう一人は栄口先輩より少し低いくらいですらりとしていて、艶のある黒髪を長めのショートにしている。
なるほど、可愛いかもしれない。

一通りの説明が終わって、花井先輩は少しかがんでマネージャーに話しかけた。背の低い方の人が頷いて、分析大好き、あるいは体力自慢のマネージャーも募集しています、と見た目を裏切らないほんわりした可愛い声で説明を加えて、野球部のPRが終わった。
黒髪の人は喋らなかった。残念。

舞台袖から降りてきた先輩達が近くを通って、会話が聞こえてくる。どうせこっちには気付かないだろうと無遠慮に眺めていたら、「イズミー」と阿部先輩が呼んで、黒髪の方がくるりと振り向いた。
イズミ先輩っていうのか。
じっくり見たイズミ先輩の第一印象は、目がでかいな、だった。垂れ気味の大きくて丸い目で、多分黒目が大きいのだろう、とにかく最初に目が行く。ふっくらした頬にはにきびの跡が少し残っていて、全体的な顔立ちは幼いのに、眉がきりっとして口元も引き締まっていて、表情は大人びている。そのアンバランスに目が離せない感じだ。
……かなり、可愛いかも。

「なんでセーラーなんだよ」
「篠岡が着たいって言うから」
「いやわけわかんねえし」
「だって一人で着るの勇気いるんだもんー」
「変な団体だと思われたらどうすんだよ」
「さあ?」
「他人事みたく言ってんじゃねえっつの」

先輩たちの会話の意味は、全く分からない。
けれどオレは、とにかくイズミ先輩の素っ気無い喋り方とか、意外に低めで落ち着いた声とか、襟足とか、裾から覗くまっすぐな脚とかに夢中で、小さいころから無表情で怖いって言われてて良かったなあと、顔の表情に乏しい父方の遺伝子に感謝した。





***





グラウンドには既に新入生が数人集まっていて、落ち着かない様子で辺りを見回している。オレもその中に混じると、ちょうどさっきのマネジが小走りにやって来た。
「またせてごめんね、監督来る前にこれ書いてくれるかな?」
はい、と一番前にいた奴に紙の束を渡す。すぐに回ってきたそれは、野球経験やポジションなどを書き込む調査票だった。
「あ、私はマネジの篠岡千代です、よろしくね!」
にこっと笑った顔もかわいい。

イズミ先輩は一緒じゃなかった。
まあ忙しいんだろうから、わざわざ2人がかりで相手しないか。そう思いつつ、近くにいないかな、と調査票を埋めながら辺りを見回すと、グラウンド整備から戻ってきた先輩たちがやってきた。
いかにも野球部って感じの坊主頭の人もいるけど、茶色いくせっ毛を揺らしてるサッカー部とかじゃないの?って人とか、本当に運動部?ってくらいほそっこい人とかがいて、ちょっと驚く。
そしてその中に。

「……あれ?」
うわ、オレ声出ちゃった?と思ったが、なあにと顔を向けた篠岡先輩は全然違う方を向いていたので、どうやら他の奴だったらしい。
ほっと胸を撫で下ろして、もう一度先輩たちの群れを見る。
イズミ先輩が、練習用のユニフォームを着て紛れていた。マネジだとばかり思っていたけど、選手だったんだ。っていうか。
顔はさっきと同じ、可愛くて、すっごく可愛くて、着てるものが違うだけなのに。

どう見ても男だった。

女の子っぽいとか、そういう雰囲気の欠片もない。

けど可愛い。

「……えーと、ここって女子部も一緒に練習してるんですか」
「え?女子の野球部はないよー。なんで?」
きょとんと小首を傾げて、勇気ある質問を投げかけた奴の視線を追った篠岡先輩に釣られて、新入生が顔を向けた。先輩たちはストレッチをしに行くようだ。

「なーなー泉ー、セーラー着たんだって?オレも見たかったのにー」
「うわまじで?」
「あほだ泉ー」
「うっかり一年生が惚れちゃったらどうすんの」
「はあ?んなわけあるか。見りゃわかるだろ」
先輩たちのゲラゲラ笑う声が妙に遠い。


篠岡先輩は、おそらく間抜け面を晒しているだろう一年坊主をぐるりと見回して、
「夢ぶち壊しちゃってごめんねぇ」
と可愛く笑った。

2006/04/29
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